「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

パーキンソン病基礎疾患のコロナ療養生活①

コロナ療養4日目。

昨日までは熱はないけど 鼻あたりの違和感 鼻詰まりで 風邪薬も飲んでいたからしょっちゅう寝ていたし リハビリする気もなれず。

100歩も歩いてない生活😓。

今日はさらに普段に戻り 鼻詰まりも楽になり ダルさもない。

もう風邪薬も飲まない。

 

先週金曜日の夕方に同居家族1人が陽性判定(抗原抗体検査で陽性が出たのでPCRはせず)

濃厚接触者となる。

翌日の深夜に鼻あたりの違和感 微熱あり。

何年かごとに繰り返す 風邪っぽい症状だけど

濃厚接触者という不安もあり これまた咳が少し出るようになった主人と2人  知り合いの先生のところで受診させてもらいPCR検査受け。

簡単に書いているが PCR検査を土曜日受けることができたのはほんとラッキーだった😓

わたしも主人も50前半 身体にガタはきていてもあんまり内科にお世話になることはない。

パーキンソン病でかかっているけど 脳神経内科

 

しかも土曜 基本休診日。

 

いつもの状態でもないけど 軽症。

 

なおかつ 濃厚接触者なので無料PCR検査場までいくことも阻まれる。

 

職場にはわかった時点で濃厚接触者になったこと伝えており その時点で主人もわたしも症状なかったので(主人はたまたま金曜日土曜日休み) 月曜日に抗原抗体検査して 勤務考えるごとになっていたんだけど。

※ 神戸市は条件満たせば無料で抗原抗体検査キットを送ってもらえる。

 

が 症状ではじめたので 朝 所長に電話。

急ぎ 知り合いの医院に相談してもらい 検査してもらえた始末。

 

PCR検査結果が出るまでが 症状ではじめてるし かといってはっきりしないしで肉体的にも精神的にもしんどかった。

 

ただ 今 ほんとにコロナ罹患者が増えているので 職場ではさらに感染予防対策していたので その心配率は低くて済んだのがさいわいだった。

 

が コロナでないに越したことはない。

 

 

 

 

 

 

コロナウィルス

とうとうコロナに罹患😓

 

ボランティアで8月末まで戻ってこない娘を除く 家族3人とも今日朝にコロナ陽性が判明。

 

そもそもは 上の子が17日まで友だちと旅行に行き 喉に違和感あったが ほかは元気なので様子みてたが 20日から母校のキャンプ引率手伝いに行く予定なので 検査したところ 抗原抗体検査で陽性判定。

 

それが19日。

 

職場にすぐ連絡。

濃厚接触者になり 待機期間は5日間 途中で検査して陽性が判明したら3日間なので 月曜日朝に検査するということだったんだけど

その日の夜中にわたしは鼻のあたりが腫れてるような違和感と37℃前半の微熱があり🥲

 

濃厚接触者じゃなければ病院にいかない程度だけど 濃厚接触者なのでコロナ陽性の可能性大だし 同じく濃厚接触者である主人の方がその時点では軽く咳する程度だけど 勤務調整が大変だから早い方がいいと 土曜日だけど なんとか診てもらえるところがあり わたしたち夫婦はPCR検査をして いわゆる風邪薬の処方もらい 帰宅。

 

(初期の段階では抗原抗体検査では反応でない)

 

で 今日朝 夫婦2人の陽性判定連絡。

幸いなことに わたしたち3人とも微熱

喉の違和感 軽い咳と コロナ前ならば夏風邪とみなし 受診しなかっただろう程度。

 

昨日の日曜日。

 

まだ判定出てないし かといって症状も微妙。

考えられるは3パターン。

 

2人とも陰性。

濃厚接触のみなので出勤可。

 

どちらかが陰性 どちらかが陽性。

その場合 最短で陰性者は25日から出勤。

 

どちらも陽性。

来週29日まで療養。

 

パーキンソン病の症状はなんら変化なし。

風邪薬とパーキンソン病の薬で 薬ばっかり飲んでるが 生活に支障なし。

 

明日 受診予定だったけど受診を1週間あとに変更。

薬に余裕があってよかった。

 

食べるものはもともと溜め込むタイプなので 2.3日はあるし Amazonで保存食購入。

陽性が判明した時点で 保健所に食支援をお願いした。

 

利用者の方 職場の人には いまのところ体調変化した人はおらず ちょっと安心。

 

予防してきたのに するりと入り込まれた感じだが 夏風邪に置き換えるとこんなものかと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

ライフプラン

このブログ始めたとき わたしは48歳。

⬇️⬇️

https://ryokanamama.hatenablog.com/entry/2018/02/20/194254

 

当時は子どもたちは高3と中3。

パーキンソン病を告げられたとき とにかく

子どもたちは大学卒業させて 社会人として 独り立ちするまでは頑張りたい! 

と思った。

 

身の回りの世話をすること。

教育費を稼ぐこと。 

できる限り本人たちがチャレンジしたいと思うことはさせてやりたい。

 

そりゃ その先も わたしが母にしてもらったように 母親としてできることはしてやりたいし 実際 今現在も 早い または遅い時間に送り迎えとかは薬の関係もあり 母にしてもらったほどにできてないこともある。

 

が とにかく 独り立ちを目標に頑張ってきた。

 

この春 上の子が社会人になり 目標は半分達成 まだ下の子がいるけど あと2年。

時間やお金やら 上の子にかかっていたものが 半分自分に返ってきた。

 

おかげで 韓国語習いに行ったりする余裕もでき 家事もご飯量も洗濯量もかなり減って かかる時間も体力も減った。

 

変化から5ヶ月。

楽になったのはうれしいけど ふと 自分のライフプランってなんだっけ⁇ 

このまま 過ごしていいんだろうかと考えている。

 

今までは 忙しい忙しいで 毎日力任せに走ってきたけど 走らなくてよくなりつつ じゃあ どう進めばいいのか わからなくなってきている😓

 

わたしは ほんと昔から よその人からは 

『元気な人』 って思われがち。

ま 力いっぱい フルスロットルで動いてたからで 身体に力入れすぎてたから パーキンソン病になって 力が抜けないんじゃないか(あくまで個人の感想) とすら思うぐらい。

 

突っ走りながらも 子育てひと段落したら 旅行行きたい 海の近くにの田舎に引っ越して 農作業したり 釣りしたりして過ごし 子どもらが孫とか連れて帰って来てくれたらいいな とか 漠然と考えてたけど それはパーキンソン病になる前の話し。

 

そろそろ 自分がどうしたいのか 時間 お金 など ある程度予測できることは考えられる範囲は 考えていくつもり。

もともと出たとこ勝負はできないタイプだし 

なんとなくのどんぶり勘定だと マイナスにマイナスに考え 慎重になりすぎて 楽しめないタイプ😓

 

これから どう生きていきたいか?

 

ほんと これからがパーキンソン病をおともに

どう旅するか 地図をつくり上げるのだ。

 

ようするに適応できるかどうかということか?

アジレクト0.5mgとイージードパール(これは今までと変わらず)に変更してもう少しで4週間。

状況は⬇️⬇️

https://ryokanamama.hatenablog.com/entry/2022/08/02/070030

2週間前とさほど変化ないけど なんとかあれからさらに2週間 今まで通りに過ごせている。

 

この1ヶ月で 状況にようやく慣れてきたって感じがする。

 

2週間前あんなにグダグダいってたのだが😅

 

グダグダいっててもなんともならん!

 

と内服時間のパターンを変えてみた。

 

今までは朝一番は内服してから3時間は効いてたから 7時40分ごろに飲んで 次 10時30分ころ(ちょうどその時間は次の訪問まで時間があるから都合がよい)でよかったのだけど 今は2時間30分が精一杯。日によっては2時間ぐらいの時もあり 仕事中に飲むのも大変なんで 朝を8時に変えた。

 

ただ 前に比べ 早く効くようになってるので 8時内服 朝はまだなんとか動くので 30分ぐらいで効くの待ちながら 出勤準備し 職場に着くころには 効いてきているというペースができてきた。

それからは仕事中は2時間から2時間30分間隔で

内服 昼ご飯後の次の内服はガスモチンと一緒に飲み なんとか午後からの不調も越えられるようになっている。

だいたいどんなに遅くても 17時までには帰宅してるので 18時過ぎまで休憩し 最後の分を内服。

 

いちおう1日6回で処方してもらってるので あと1回あるけど 調子がよければすぐに効いてきて ご飯 お風呂までいけているので 今のところまだ5回で済んでいる。朝も以前より身体軽く起きてくる日も増えてきたので 5回で大丈夫と判断している。

 

寝る前のリハビリも 18時過ぎ内服後 身体に合図するべく その時間にするように変更した。薬飲んでからずっとソファに座ってても効いてこないし😓 寝る前ヘトヘトになりながらリハビリしてたから 薬が効いてくるように身体動かすのにちょうどよくなった。

 

こう振り返ると 薬が合ったとかではなく ようは現状にようやく慣れたということかと思ったりする😓

 

なんだかんだで1ヶ月もかかってしまった。

ほんと 年のせいか はたまた性格か 変化を嫌うし 適応しようとする力がさらに落ちてしまい こうあるべき!という観念に縛られすぎる気がする。

 

むかしよく母が 大台にのると2.3年は馴染むまで時間がかかりしんどい。とくに50歳からはしばらくしんどかったっていってたなあ。

 

たしかに 身体の変化 ライフスタイルの変化 と変化の時期なんだけど これまた適応能力のないわたしは まだ自分にフィットする方法を模索してる気がする。

 

あと何回 こういうこと繰り返していくのかなあ。

 

 

 

 

夏の思い出

暦の上ではもう立秋

 

最近の温暖化でまだまだ暑いのはわかるけど まだ世の中 エアコンつけているうちが少なかった頃でも もう秋やったっけ?

 

うちの下の子は7月26日生まれ。

暑い時期の出産だったけど お腹が大きいときに暑かった記憶はない。

生まれてからは赤ちゃん用室温にして過ごすので 抱っこしてるときが暑かった記憶はある😅。

たしか出産予定日の1週間ほど前に上の子と母親と電車に乗っているとき 大きなお腹にびっくりされ 知らないおばあさんに声かけられたなあ。

 

何より お誕生日は夏休み中なので 小学生のころはお誕生日会かねて お友だちを自宅に招き 早めに夕飯と🎂食べて 近くの公園で花火しにいくのだけど 19時過ぎてもまだ外が明るくて でも帰りが遅くなるといけないから 明るいままスタートしたことを 毎夏思い出す😊

 

おそらくこれからも毎夏 歳がいって おばあちゃんになっても思い出すんだろうなあ😊

 

立秋過ぎたら 暑さはおさまらないけど 日の入りが少しは早くなるから ちょっと暑さましになるかな。

 

わたし自身は冬真っ只中の生まれだけど

(わが家は4人家族だけど 春夏秋冬に誕生日がある)

夏の方が好き。

 

暑さも以前はあまり苦にもせずに過ごしてたし

室温28℃でも平気だったけど 年のせいか 暑さにも弱くなってきて 今年は26℃で過ごしている。

 

アジレクトにかえて 効きのパターンにだいぶ慣れてきたけど 最近 効きが落ちて身体が動かしにくくなり休んでいるときに やたらと汗が出るのだけど 暑さのせいか(冷房のきいている室内にいるんだけど) 更年期症状なんか 薬の副作用か。

ま 夏は暑いし 汗もでるわな。

 

あまり汗かくほうでもないので 汗にビビりつつ また夏の思い出を増やしてるのだった😅 

 

 

 

 

山下清展

近くの美術館で開催中の

 

山下清展』

 

のチケットを2枚いただき さっそく昨日ダンナといってきました。

 

日曜日の夜 よく「裸の大将」。

デフォルメされてる部分もあった

たとえば 服装はノースリーブシャツに半ズボンのイメージだけど 夏は浴衣 冬は着物で

放浪していた とか

やはり わたしの中では 芦屋雁之助のイメージが😊

 

展示物が多く 最後疲れたけど 見応えのある

ひとつひとつ みていて楽しかった。

 

去年 上の子の学生スポーツをやるのが最後の年だったので 京都に願掛け ついで食べたかったスイーツのために この暑い中 2時間近く並んでた記憶があるけど 今思うと元気だったなあ😅

 

成せばなるのか⁇

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⬆️⬆️長岡花火大会。

残暑お見舞い申し上げます。

 

信じ仰ぐ心

最近 ワイドショーである宗教についての話題は必ず出ている。

あのニュースみると必ず思い出すことがあり それを話すと だいたい驚かれることがある。

 

病院で働いていたときに先輩から聞いた話。

病院には宗教勧誘しにきてる人がたくさんいるということ。

 

当時 わたしは病床数800?(今 場所移転しており 800床になってるけど わたしの記憶では1000床だったような)の大きな規模の病院で働いていた。

 

外来会計は 山ほどの人が座って待っていたし 各病棟ごとに休憩コーナーみたいなところがあった。入院病棟は6階分✖️4で 24フロア

ほかの階にはオペ室ICUがあり 何百?何千の人の出入りがあった。

 

もちろん もう20年以上前の話し。今は出入りに対しセキュリティも強化されてるだろう。(ましてやコロナ💦)

ただ当時はセキュリティも緩く 日中はもちろん 夜も外来の階は閉まっても ひっきりなしにくる救急患者で出入りフリー 病院に関係なくても座っていられる。

 

もちろん病院は病気を治すためのところ。

不治の病 余命宣告を受け 藁にも縋りたい気持ちにもなるのは当たり前のこと。

そんなときに言葉巧みにこられたら?

 

気の強い⁇わたしですら こんな病気になるなんて なんか悪いことでもした? って泣きたくなるときもあるぐらい。

 

ましてや 自分のことより家族となると。

 

身体とメンタルは切り離されないもの。

何かを信じることで身体の調子が安定するならばそれもいいのだろうけど 世の中は自分の幸せ 周りの幸せで成り立つもの。