墓問題。
わたしの方は姉妹 ダンナは男女2人ずつの兄妹姉妹。
わたしの方は 2人のも嫁ぎ 実家にはいないので仏壇は終い 墓は妹夫婦が墓守してくれると決まった。
ダンナのほうは 墓 仏壇も熊本にあるが 長男である舅ななくなった後 姑が関西にきており 現在は舅の妹がみている。
こちらもどうするか この前 法事で今後のことを決めるとなった。
(わたしはいかず ダンナのみ参列)
そのときに 自分が死んだあと どうしてほしいのかと考えさせられた。
わたしはもともとから 散骨希望。
法事や 墓参りやの話のたびに 子どもたちには
もしお母さんが死んだら 散骨してな。
で たまに思い出してくれるだけでいいから。
と話してきた。
最近 実家に泊まりがけでいくようになり 母が入院してからも 空気入れ替えがてら 仏壇のおまいりを母のしていたことを見よう見まねでしている。
やってみると
あー これはこれで心のよりどころになるかも
と思うが この年齢たがらの境地だろうとも思う。
追われるように生活していたときに 朝 仏壇をあけて お茶をかえ ときには仏花をかえて
毎月のお参りに お寺さんに心づけ。
心のよりどころ < 負担 ではないか。
人によってはさときの考えは不謹慎な考えといわれそうだけど かといって粗末にできないし。
うちにはみんなが見えるところに なくなった父親と舅の写真を飾り 掃除のたびに周囲もきれいするようにしている。
むかし 母が子どものお世話に来てくれたとき 写真をみながら
おじいさんはこうやって写真を飾ってもらっていいね しあわせやね
といったのをいつまでも思い出す。
わたしも 子どもたちには写真飾ってとはいわないが 法事とかしなくても 化けてないから
ときどき思い出してくれる程度でいい と伝えている。
その考えを 法事に参列するダンナに伝えた。
ダンナはどうしたいかも聞いておかないと まだ違う動きになるからね。
そのとき
今のところは順当にいくと わたしの方が先に死ぬことになると思うけど
と話した。
まだ54歳。
もう54歳,
若いころには見えなかった景色がみえる。