新年早々思ったこと。
人に何か伝え 理解してもらうことは難しい。
ましてやそれを実行してもらうのは簡単なことではないなあってこと。
なんでそんなことあらためて思ったか?
それは『箱根駅伝』をみたから。
みたといっても作業しながらテレビを流し続けていたって感じだけど テレビからたえず
「今年は家で応援しましょう!」と いろんな人が呼びかけていた。
走ってる選手のお母さんも いろいろな試合にビデオ撮って応援してきたが今回は家で応援しています!といってるのに 沿道に応援している人たち。
そりゃ例年に比べたらかなり少ないんだろうけど あんだけ繰り返し繰り返し
「家で応援」っていってるのになあ😅
でも応援にいってる人が悪い!って切り捨てるのははやい。
やっぱりいってる側の思いが伝わってない。
ほんとに行くなって考えたなら2日に渡って放送するぐらいだから1週間前からでも言い続けるべきだし これは伝える側の
そこまで言わなくてもわかるよね? って甘えがある。
これは仕事でも私生活でもしょっちゅうある。
仕事だとわたしの場合「療養指導」というのがあるが 簡単な言葉におきかえ パンフレット使ったり(視覚に訴える) チェック表渡したり 言葉だけでなくあらゆる感覚利用してわかってもらおうとするが みんながみんな同じように理解してくれるわけではない。
たとえば犬といって チワワを思いだす人もいれば レトリバーを思い出す人もいるわけで😅
余談だが この理解するしないの場合 もう退職したが同僚が
わたしはこれだけいったからもうあとは知らん(あとは自分たち次第という意味)というのを聞き 最初そういう考えかたもあるのかと驚いたが わたし自身
療養は自己決定が必要
と書いてるし。
これって仕事側は楽な考えで それを何度も何度も理解 実行してもらえるようにして給料もらえるんじゃないかと思ったり…。
私生活でもそう。診察時間にいかに主治医に状況と自分の希望とアドバイスを聞けるか?
インフォームドコンセントという言葉がでるようになってから なんでも説明説明で なかなかめったにおこらないリスクも説明して 患者を不安のどん底に落としたり。
さっきの同僚みたいに
考えられるリスクみんな説明したからなんかあっても訴えるなよ!話したからね!
といわんとする医者もいて どうなんかなあと思うときもあるけど すべて根底は
「自己決定 自己責任」。
それはわかってるつもりだけど そこを忘れて診察受けると突き放されたような気がしたり 結局聞きたいことが聞けなかったり😥
思いや考えをいかに伝えるか。
今年もひきつづきの課題ってか 一生の課題だなあ。