「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

どうしたものだか

母が20日に退院しており 金曜日から泊まりできている。

 

入院前よりさほど変わらないが 相変わらず転倒リスクは高いし 認知機能は戻るわけもないが進んでるわけでもなく。

 

パーキンソン病と診断されてから 介護者は妹がメインになった。

4年前の入退院から 1人で過ごせる時間が短くなり こちらに生活基盤をとって 妹がみてくれていたが 心身ともに疲れてきたようで 微力ながら泊まりにいくようになった。

 

もちろんわたし自身も 朝夕 ヨタヨタするが さいわいなことに⁇ 母はすぐ忘れてしまうので なんとかなっている。

 

担当ケアマネの方ともお会いするようになり なんとなく疑問に思っていたことも確信に代わり もっとこちらに来ておくべきだったと反省している。

 

看護師をし始めてからずっと悩ましかったことは 程度の差がつかめないことだった。

 

看護師でなくても 専門的な仕事をしている方あるあるだろうけど 日ごろから重症ケースをみていると それが平均になってしまう。

 

例えば わたしと主治医の関係と同じで わたしがいくらジスキネキジアがひどいといっても

もっとひどい方々をみていると

 

大したことない

 

と思われる。

 

それと同じ。

 

妹は医療介護関係ではない。

 

だからなのか それとも自分が疲れたからなのか 母との関係か 母の状況を過信してるようなところがあるようで 危ないところがあるらしい。

 

わたしも以前から会話の中で ⁇  ⁇ な部分もあったが ケアマネと話す中で合点がいったり。

 

かといって さっきの話しのように 専門職同士だから合点がいくのかと思ったり。

 

なんだかんだいいつつも みてくれていたのは妹なわけで。

母もけっしてかわいくしていたわけではないし。

 

もっとこちらに来たいが ダンナは以前からわたしが実家のことで遅くなってもなんもせず 子どもたちと座って待っているタイプ。  

まだ子どもたちの方が気を利かせて動いてくれた。

 

自分の親のときは ひたすら休みのたびに通い 家庭のことはすべて人任せだった(普段からだけど)くせに。

 

まだわたしが若くて元気だったころは 怒りながらもあちこちできただろうけど 今は無理。

ストレスと体調不良が目に見える。

 

ダンナの態度ももっとはやくに見極めなかった自分にも非があるっちゃあるわけで。

 

でも きっともっとわたしが元気だったら また1人で抱えてただろうし 妹やダンナも今まで同様に それを当たり前としたに違いない。

 

でも それができない状況に わたしは人に任せるということを学ぶ。 

 

順当にいくと 母との時間のほうが短いわけだし こうやって学びもある。

 

煩わされることなく 大切に過ごしたい。