ずいぶん前に主治医との関係(わたしの主治医特定でなく一般的に)について たしかそのとき
人って結局は自分に都合のいい言葉を望むので それをいってもらわなければ それをいってもらえるように対象を代えたり いってもらえないことに腹立ち対象を非難したり 自分の都合のいいように解釈しようと 無意識にする
し その答えを誘導しようとする
みたいなことを書いたような気がする。
何が正しくて 何が正解なのか 病気という状態をとってみれば たしかに医師は専門家。
専門家って そのことに対する 科学的根拠に基づいた事項を 時間かけて知識経験を積んできた人たち。
任せて安心なんだろうけど かといって100%ではない。
そんなこんなで『セカンドオピニオン』なんてできたわけで。
余談だけど セカンドで終わってるのは 専門家が2人もいれば答えは出てくるってことなのかな。
セカンド以上は ドクターショッピング扱いになるのか⁇
ましてや自分の病気となると 実経験に勝るものはないし 納得いかないというか モヤモヤして帰るときも多々ある。
でも それも致し方ないかもと最近思う。
だって わたしもかれこれ5年以上
基本2ヶ月に1回 つまり30回✖️15分ほど
450分 → 7時間半ぐらいか
お会いしてるだけで わたしのすべて話してるわけでもない。
わたしは家族と受診したことがないから わたしが何人家族ですら話したことないし ご存知ないと思う。
当時中学生だった子が大学生になったなんてことも。
ただ 一番最初に 子育て真っ最中でまだまだ仕事しなければならない状況 と話したから いかにそれが続けられるかということが 治療方針の方向になったような。
そんなこんなを考えると
自分自身の考えをしっかり持つこと
ほかを理解するのは時間がかかること またいろいろな側面をみていく努力が必要なこと
(その努力は無駄ではないはず)
だからこそ 人に自分を理解してもらうのは難しいから 理解してもらわなければならないなら 努力しないといけないなと思う。
なんかまとまりつかないけど
平和って 努力の上に成り立ってるんだなあと
50過ぎてしみじみ思う。
実際 5年以上経ってようやく最近 主治医と少し話しができるようになった気がするし😊