「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

ALS嘱託殺人 突きつけた課題 読売新聞より

ほんとは受診日の内容 なぜ継続的にDATスキャンとらないのか と スタレボという薬について 書いておこうと思うのだが その前に 今朝この記事読んで わたしが次にしたいと考えていることに通ずるところがあり 忘れないように 記録に残しておきたいので ちょっと割り込み😅

 

2020.8.7 読売新聞朝刊

ALS嘱託殺人 突きつけた課題

 

生きていく支え 増やして…参院議員 舩後靖彦氏  

⬇️⬇️ 内容 全文

体に異変を感じたのは、商社で寝る間も惜しんで働いていた41歳の夏。腕に力が入らず歯ブラシを落としてしまい、数日後にはカバンも持てなくなった。翌年ALSと診断された時は、今までの人生がガラガラと音を立てて崩れていくような気持ちになっALSを一言で言うと「太いロープで指先までグルグル巻きにされて、身動きができない状態」だ。健常者の価値観からすれば「みじめ」な状態で、自分を受け入れられない思いが「死にたい」という願望にすり替わる。実際、私自身も発症当時はそうだった。

 難病患者が「死にたい」と考える要因には、▽難病患者の生き方に関する情報不足▽難病患者を支える医療・福祉の社会資源不足▽障害者らを「社会的負担」ととらえる社会の意識――が複雑に絡み合っている。支援が必要な人は社会にとって「負担」で、負担を軽くしないと社会資源がもたない。そういう風潮が蔓延

している社会では、「生きていては迷惑」という考えに転んでしまう。

 私が「生きよう」と考えるようになったのは、担当医に他の患者のサポートを頼まれたことがきっかけだった。私の体験を語るうち、患者の表情が和らぎ、「ありがとう」と言ってもらえた。その後、同じ病気の人たちと交流するようになり、「僕にもやれることがある」と思えるようになった。

 事件が報じられた7月23日、「『死ぬ権利』よりも『生きる権利』を守る社会にしていくことが何よりも大切」というコメントを公表した。すると、「みんなが舩後さんみたいに強くない」「『死ぬ権利』も認めてほしい」という意見が寄せられた。

 これは、苦しい状況にある人が今も多くいるということで、大切なのはこれらの人たちをどう支えるかだ。

 私自身、どのように生きていけばいいのかわからなかったことが「死にたい」という気持ちにつながった。しかし、障害とともに生きる生活を知っていれば、そうならなかった。私が国会で活動しているのは、寝たきりで声を出せずとも、使命をもって活動できることを知ってもらいたいからだ。

 私のように医療的ケアや介護を受けられれば、何年も自分らしく生活し、社会的な活動や仕事もできるということを知ってほしい。

 人は誰しも生きていくには何かの支えを必要としている。生きる支えを増やしていくことこそが、今回の事件を受けて、私たちが議論すべきことだと考える。

 

ほかの立場からの方の記事もあり ぜひ読んでみてほしい。

 

正直 この方の衆議院議員当選は たんなる話題づくりのような気がしていて わたし自身も最近書いたブログのように 病気を抱えて仕事をすること またその病気が仕事内容に影響を及ぼす場合 続けていいのか悩んでるだけに 議員というハードワークをこなせるのか? と思ってた。

 

が 仕事をこなせるかどうかの議論はさておき でも やっぱりこういう意見は やはり体験を通さないとわからないことであり そのためには 話題づくりだろうがなんだろうが注目を集めてから発信するほうが影響力が大きいのはたしか。

 

やっぱり闘病生活をたくましく乗り越えるには こういうふうになれるんだ✨ という目指すもの 希望の光がみえることが大切と思う。

 

人は千差万別 わたしにとっての希望の光が みなの希望の光になるわけではない。

だから パーキンソン病の方のいろいろな思いや考えをたくさん聞ける機会をもち 自分の希望の光 を持てる場所は必要。

 

はやく次のステップにすすみたいのだが 気持ちばかり焦り😅

 

やっぱり間違ってない! と背中を押してくれる朝でした。