「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

歎異抄②

仕事柄か いろいろな方のいろいろな話し  病気のことはじめ 家庭のこと 生い立ちのこと 仕事や趣味など ほんとにさまざま。

いろいろな話しを聞かせてもらい とても勉強になる。

 

話しを聞くことで わたし1人の人生では経験することのなかっただろうことを知ることができ 視野を広げることができる。

 

が 楽しい話ばかりもなく 相づちひとつもどうしたらいいか考えなければならない話しや思いを打ち明けられたりすることもある。

 

もちろんコミュニケーションは 言葉だけでないのはわかっているが わたしの性格だと思うが その場にいると何か返事をしなければならないとあせる。

 

今年で50歳になり 最近よく悩むのが 

(その話しが)

わたしに解決してほしいのか

わたしにアドバイスがほしいのか

たんにグチがきいてほしいのか

 

どれなのか はっきりしてほしいということ。

 

立場がかわれば解決できるように動けることってあるのだが 少しでも波がたつと(というか その人が思っていた形にすすまなければ)聞いてほしいだけだったのにみたいになることもあり ならば最初からグチだけど っていっとけよ! と思う。

 

ちょっと歎異抄からはずれたが 返答に困ることも経験してきたわけで😔

 

歎異抄①でのhowever-downさんのブログの中のあのやりとり!すばらしい!

 

わたしなら 向き合って話しするのが難しくなって きちんと向き合えないんじゃないか?

 

で その話しに影響され 

 

五木寛之さんの「私訳歎異抄

 

を買って読んだ。

 

リハビリとコロナ自粛で在宅中の子どもたちに聞かせるため 音読で😆

 

勉強になったし 視野がまた広がった。

 

でも凡人のわたしにはイマイチ理解できないところもあり。

 

懺悔すべきことのある人に被害を受けた人は いったいどう考えたらいいのか?

 

恨みつらみに囚われた人生は その人自身もからめとっていくというのはよくいわれており 

そのからみをとるには「許す」ということがキーになることだが やっぱり人って傷つけた側は忘れているが 傷つけられた側は一生忘れられず引きずることもあるわけで💧

 

しかも自分のことではなく 話してくださる利用者さんが恨みつらみに囚われてる人なら。

 

凡人のわたしにはまだまだ難しい。

 

が わたしは歎異抄読んでからは 

 

「やることさえやれば あとはなるようにしかならない」

 

と思えるようになり 気が楽というか うだうだ悩むのがアホらしくなり。

 

もっと早く読んでおけばよかったと思ったけど 今このタイミングで読めたから この心境なんだとも思う。