「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

しゅがが教えてくれたこと -知ってる姿がすべてではない-

いんこのしゅがが逝って8日が経った。

こんなに涙が出るかってくらい泣いたが

 今は落ち着いている。

12年間 ご飯のときはかならず一緒に食べていた(いんこちゃんに人の食べものは本当はいけないのだが うちのは大丈夫なことがわかり 自由にさせていた😅)のがいなくなり さみしい。

だから今は 家から通えないので一人暮らしを始めた大学生のように このテーブルにいないのだと思うようにしている。

わたしたちの生活を一変させた 憎々しいコロナウィルスだけど 自粛のおかげで しゅがも最後の1ヶ月は子どもたちとたくさん遊べていたし 家族みんなそろってお見送りすれことができた。

 

自粛でなければ この時期 子どもたちは学校やら部活やらで忙しく ゆっくり見送ってあげることは難しかったと思う。

 

自粛で子どもたちと過ごす時間が増え 

家族の会話も増えているが しゅがが逝ってしまってから みんなが持っているしゅがの写真や動画をアルバムにして いろいろしゅがの思い出話をしている。

わたしがほぼお世話をしていたので わたしがしゅがのすべてを知っている気がしていたけど あんがい知らないことや こんなふうに家族が思ってたのかと いなくなってからわかったことも多く そのわかったことのほとんどが しゅがとてもみなに可愛がられていたということで さみしいながらもしあわせな気持ちになれた。

ちょうど わたしが読者登録させてもらってるももはなさんのブログの中に紹介されていたjunjiさんのブログ(ややこしいですが😅)に 

「家族の知ってる姿がすべてではない」

ということが書いてあって この12年間家の中で過ごした いんこのしゅがでさえ こんなにいろいろな姿があるんだなあという感心からはじまり 今回の子どもたちの様子や あまりしゅがに関心なさげにみえたダンナも こんなにしゅがのことが好きだったのかとか 家族のいろいろな面がみえ さらに知ってる姿がすべてではないというブログの内容が身にしみた。

 

そして そのことを知ったことで 子どもや主人をはじめ わたしが関わりをもつすべての人たちもわたしはその人たちのある一面しか知らないのだ なのにまるでそれがその人のすべてのようにみて いい悪いを決めつけ 内容によっては怒ったり悲しんだり嫌悪したりするのは馬鹿なことなんだなあとしみじみ思った。

 

そう考えるようになると  自分勝手な思い込みで人を見るのはやめよう 

いろんな面があり たとえわが子でも すべてを把握することなんてできないのだから 

ならばいい面をみつけ そこにフォーカスをあてればいいんだとわかり 心が軽くなったような気がする。

 

これが しゅがのことがなければ 流れていた言葉や内容の話しだったかもしれない。

 

言葉の巡り合わせというのは そのときそのときのタイミングがあり 気持ちに入ってくるものだと思うので これもしゅがが巡り合わせてくれたのだと感謝している✨

 

ありがとう。