「PD Main Me」パーキンソン病をおともに やりたいことやる人生の旅にでよう! ひとりじゃないよ。〜ryokanamamaのブログ〜

50歳パーキンソン病歴6年め大学生高校生を持つ母です。。看護師歴30年なんとか現役で働いています。PDとして 母として 看護師としていろいろ教えてもらったことや考えたことなど書いてます。

しゅがありがとう!

5月5日23時前にうちのいんこ(しゅがちゃん)が旅立ちました。

12歳でした。

セキセイインコの12歳はかなりのおじいさんになり10年過ぎた頃から覚悟していたのですが 

いざいなくなると張り裂けそうなぐらいつらいです。

うちのしゅがちゃんは触られたりなでられたりするのがきらいでしたが 人懐こく家族が集まると必ずやってきて手に乗るのが大好きな子でした。

1ヶ月前から右足の調子が悪かったのですが 病院が大きらいで 連れていくのもストレスのため様子みていたのですが いよいよ左足の調子も悪くなり つかまるのが大変になってきました。

それでも休み休みしながら 自粛で家にいる子どもたちといっぱい遊んでました。

このまま自然にと思ってたのですが4日の夜から5日にはあれだけ食いしん坊だったのに食べなくなりました。

インコは身体が小さいので食べなくなると落鳥が早くなります。

 

わたし自身情けなかったのが 歳も年なので自然に好きなようにさせると決めていたのに 

弱っていく姿に我慢できず 嫌だったろうにプラスティックケースにいれて(ゲージでは診察できないので入れ替えるのですが 元気なときは入るのがいやで大変でした〕連れていきました。

 

先生には 

 

12年もよくがんばった。

このまま好きなようにさせてあげましょう

 

といわれ 泣く娘をみてかすぐ連れて帰ってあげてといってくれました。

 

帰ってきてからもしんどそうにしていたのですが息を引きとる1時間ほど前にケースから出たそうにしたのでかかえてだし 家族が囲むテーブルの上を歩けないのに歩こうとしてはつまずき最後は羽を支えに 1人ずつあいさつしてくれました。

 

下の娘がすごく泣くので つまずきながら手にのろうし 手に乗せると心配そうにのぞいでました。

 

意識もほとんどないような状態なのに。

 

下の娘には甘えることがあまりなかったのですが どうも自分より下に思ってたようで 

最近料理しに台所にいると心配そうにかごから見ていたようです。

わたしがラジオ体操し始めたときも よく寄ってきてました。

 

わたしは夜中看病するつもりだったので 

あいさつしてしんどそうなしゃがをケース入れて 先にお風呂に入り あがって声をかけるとすぐに息を引き取りました。

 

待ってくれてたんだと思います。

 

ずっと泣けて泣けてとてもさみしいです。

あんなに小さなインコでも 痛くても弱いところみせず そしてりっぱな最後でした。

わたしは最後にあんなにりっばにできるかなあ。

 

さみしい。

さみしい。

 

お母さん 愛と光に包まれたしあわせな毎日でした と明け方 夢をみました。

 

しゅが ありがとう。

虹の橋で待っててね。

お母さんがそっちに行ったら お母さんを見つけてね。

もう足痛くないね。

好きなご飯食べるんだよ。

 

しゅが ありがとう。
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