ryokanamamaのブログ

48歳パーキンソン病 2児の母です 看護師してます

父の介護と死生観③

栄養チューブから内服してるにもかかわらず 症状が全く落ちつかず 転院してすぐ パーキンソン病ではなく 多系統萎縮症の中の線条体黒質変性症と診断されました。

多系統萎縮症はパーキンソン病の症状とよく似ていますが 薬が効きません。

が まったく飲まないわけにもいかず 栄養チューブからの内服は継続されました。

 

転院し3ヶ月経つ前に 次を探すか 退院するかでケースワーカーさんと話しました。

 

その時 父は24時間点滴管理 栄養チューブからの内服 吸引という医療処置 オムツ交換をはじめ ほぼ全介助を必要とする状態でしたが まだ話すことはできました。当時 よく足が痛いといい アンメルツをよく塗ってあげました。

 

次に勧められた転院先は 自宅から電車で2時間かかる山の方でした。

母もオムツ交換などはできても 医療手技はまだまだ習得できず 自宅に帰るのは難しい でも すでにその当時 訪問看護の仕事しているわたしとしては 自分の親を看ないことに疑問を感じ 自宅に戻れる状態になるまで わたしの家に父だけ来てもらうことにしました。

 

母はわたしの主人に気を使いましたが 説得し わたしは仕事があるので 仕事のときは母と訪問看護師さんやヘルパーさんなどに来てもらい 仕事が終われば母と交替し 母は家に帰る体制にしました。

 

わたしの家に来てから 一度肺炎で入院となり そのときの検査で 多系統萎縮症の方はかなり進んでいて 排泄をつかさどる連絡経路が消失してしまっていること(なので 身体が脱水状態であってもドロドロした尿が出て 少しも点滴が離せない状態) あと詳しく調べないとわからないが悪性リンパ腫の再発してるかもしれないと言われました。

 

その入院から  父はあまり話すこともできなくなりました。

 

最終的には おしっこの管までつけており もし次に何かあれば 気管切開が必要になるかもしられない状態でした。

 

気管切開が必要となったとき どうするか

もう意思表示ができにくい父は答えを出せず 当時のわたしは もう何もしないでいる方がいいのではと考えました。

 

父は どう考えたのか 今でもわかりませんが…

 

自宅で介護している時は ラジオをかけて よくケアをしながら聞いていたのですが 時々 高齢者にかかる高額な医療費の話しがありました。

父は 延命処置といわれても仕方ない状態で そういう話しを聞くたびに 好きでなったわけでもないのに 父が勝手なことをしていると責められてるような気にもなりましたし これでよかったのか 自分自身もわからなくなりました。

 

結局 わたしの家に1年もすごさず 誤嚥で入院してから1年経たず 亡くなりました。

 

 ④に続く。